2025年2月4日火曜日

【検証散策】力石編:阪急岡本駅周辺〜1:鷺宮八幡神社(力石なし)

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今回は、歩いての力石検証散策であります。
阪急岡本からスタート〜すぐのY字路を左へ・・・


鷺宮八幡神社到着〜未参のお宮です。


鳥居が参道と直角に交差、海を向いてます。


鳥居前には民家が迫ってます。


由来書きによると・・・
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古くより鷺森八幡宮ともいわれ、欅、松、椋等の80数本の大木が繁茂し、
昼なお暗く鷺の飛来を思わせる森であったが、
明治6年(1873)境内開発により伐採され
現在ではただ欅の大木がその面影を伝えている。
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欅、今は枯れてしまったそうです。


百度石


社殿


拝殿前に狛犬


拝殿にあった獅子の木彫り、地車の飾り彫りでは?


拝殿扁額は「鷺宮八幡神社」


社殿前の真新しい玉垣を見て回るとなんか頭が混乱気味に?
本殿向かって左には「鷺森 保久良御旅所」とあります?
保久良神社は、ここより真北の山腹に鎮座する大きな神社の御旅所ってこと???


裏側に・・・御旅所設置?神輿台設置、宮入開始と
ありますが???はてさて???


本殿前には、御旅所によく見られる神輿を休める台ですね。


「小路八幡宮御祷講」と有りますが、ここより東に少し行った神社ですね。


更に東へ行った場所にある中野八幡神社御祈講


稲荷神社は本殿の隣・・・


反対側には、鷺宮八幡神社とあり・・・


田邉伊勢講に北畑天王講・・・


奉納された燈籠に「北畑天王講」
調べたら一般社団法人やったりして???
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天王信仰とは・・・牛頭(ごず)天王および素戔嗚(すさのお)尊に対する信仰。
保久良神社の主祭神は須佐之男神・・・繋がるのね。
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先の由来書きをに・・・なかなか複雑な。。。
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明治14年(1881)に神輿台が寄進され保久良神社のお旅所として
神輿の神幸の儀、地車の宮入りが盛大に実施されるようになった。


大きく「猿丸 務」とありますが
同じ名字の保久良神社宮司の猿丸善成さんがヒット
玉垣の関連名からその方の親族さんなんでしょうね〜


境内に・・・

石の祠、空っぽでした。


2025年2月2日日曜日

三田から自宅へ〜5:金刀毘羅大権現跡・笹尾春日神社

地図にポッツンと金刀毘羅大権現とあり?
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地図と照らし合わせると田んぼの向こうに神社への入口が見えてる?


入口に行ってみたら竹やぶが迫る・・・う〜どうしようか?
とちょっと悩みましたが・・・登ることに。


ヒーヒーと言いつつ登ると航空写真で見る四角な構造物が見えてきました。
神社にしては・・・変やん???


なんだコレ?金刀毘羅大権現じゃないやん???


ヒーヒーと登ってきてコレかい!!ガッカリ・・・(T_T)
でも電気が来てるみたいやし・・・なんの施設やろか???


周辺に金刀毘羅大権現の痕跡はないかと・・・


頂上付近の林の中に大小、色々と


磐座か?と思える大岩がゴロゴロ


でも、どう見ても・・・


金刀毘羅大権現跡には見えません・・・と


コンクリートの構造物の脇に細い登路が・・・上がってみると平らです?!


地面を見たらコンクリ?


枯れ葉の中に石柱?


太いボルトも・・・
多分、昔、ここに金刀毘羅大権現の祠が固定されていたんでしょうな?
という事で廃社となっていました・・・嗚呼、しんど(^^;;;;;;


最後に笹尾の春日神社へ〜


ここも潜り長屋門で・・・


能舞台になってます。


社殿


摂社の一つがエベッさんで・・・鮮明はお面群に、ちょっと怖い!びっくりです。


さぁ、家まで30キロばっか一気に走ろうと・・・あら、記念撮影中やん。
しばし待ってから帰路にGO!!


で・・・5月22日に顔面神経麻痺発症(T-T)
直後のスケッチ・・・これからやれやれな半年になるわけで・・・
2025年1月31日の段階でも完治してません(T_T)



2025年2月1日土曜日

三田から自宅へ〜4:国森大明神社(笹尾笹平井)

国森大明神社
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地理院地図になく、Googleマップに記載ある神社


朱塗りの鳥居が連なるので・・・


お稲荷さんかな?


でも、よく稲荷神社で見かける・・・


鳥居ごとにある奉納者の連名がない?


入ってすぐに手洗鉢・・・


お稲荷さんでよく見る瓢箪型になってますが・・・


朱塗りの鳥居と祠・・・


狛狐は・・・いません?


玉石 国森大明神
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玉石を調べると・・・
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玉石は、古代、神武東征以前から熊野磐座信仰の一つとして崇められてきた。
なんて記載があり、丸い石には「言霊」が宿るなんて聞いたことがあります。
なので、かなり原初的な神さんが祀られてるのかな?と勝手に推測。


祠の後ろに丸い石が置かれ・・・


榊が添えられてますが・・・やけに丸石がきれいなのが気になるのと


御神体にしては祠との位置関係がおかしい?ので、近隣の河原で
まん丸い石を見つけた方が、ここに置かれたって思うえるんですが???


見渡すと他にも祠があり・・・


川に沿って上流奥にも・・・


祠名を書いた札がかかってますが・・・


残念ながら退色して読めない?


最奥に石組みが残ってましたが、もしかしたら滝行の場か禊の場やったのかな?
と勝手に思いつつ・・・