2026年5月19日火曜日

【ご近所】宝塚・日の丘公園と植木屋久兵衛と塩尾寺と八代目市川団十郎との関係〜2

 さて・・・日の丘公園に到着〜♪
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ありました石碑と石塔、壇上へは、どこから登るんやろか?


まず大きな石碑から・・・


逆光で見にくいですが「南無阿弥陀佛」と彫られてます。


台座には「大坂講中」


裏面に年号とか願主銘を期待しましたが・・・


石碑前には、小さな手水鉢と花立て・・・


左側・・・まず三角の石をば・・・


何も彫られてませんね〜
形からよく見る荒神さんかと思いましたが・・・


左側の石塔には、色々と文字が彫られてます。


台座部分「植木屋久兵衛」と具体的な人名が・・・ネット検索
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宝塚市/たからづかデジタルミュージアムの霊泉と塩尾寺ページがヒット!
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伊孑志の古老田中和作によれば、塩尾寺の〜中略〜「大坂講中施主植木屋久兵衛・安政三年丙辰三月二十一日」としるす石塔や・・・と出てくる!


裏面の年号も同じ、この石碑&石塔をさしてますね!
さらに調べると・・・驚きの検索結果出た!!
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植木屋久兵衛は、大坂島之内で旅館を営んでいたそうで・・・
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八代目市川團十郎は、勧進元の植木屋久兵衛の屋敷で自殺〜 嘉永7年(1854)8月6日(1854)!?


八代目市川團十郎自殺が嘉永7年8月6日 この石塔は安政3年3月21日
團十郎の死後3年後に建てられてるので、彼への供養か?
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正面の戒名「放香院梵空自芳信士」は団十郎もものか?!


戒名の明記はないかと調べてみたら・・・
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国立歴史民俗博物館所蔵の死絵には「猿白院成清日田信士」
という戒名が記載されているそうで、追善刷物では、「白猿」「成田屋」
「日田信士」などを強調した略記も見られるとか・・・
また、幕末の死絵文化では、正式戒名だけでなく、院号のみ、道号のみや
俳名、芸名を混ぜて記すことが珍しくありませんとか・・・
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違うような・・・家紋も違っているみたいだし・・・

左側面にも違う戒名が・・・閑林妙芳信女〜女性ですね・・・


家紋・・・判別無理ね。


右側面、和歌?が達筆で刻まれて・・・読めないわ?!
もし團十郎の供養塔だったら墓のある大阪の一心寺へ行こうかと
思ってましたが違うような〜この碑文が読めたらなぁ・・・残念!


最後に公園内を見てから行こうかと・・・


大きない岩が・・・


2つ転がってましたが・・・これも何かあるんやろか・・・???


2 件のコメント:

  1. 屋敷内で自殺って・・・迷惑なんですけど・・・(苦笑 人気役者だったのでしょうね。

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    1. この時、道頓堀に船で入ってきたときには何万人のファンが詰め掛けたそうです。

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