古地図にある旧村高木村と武庫川の間に新田跡地を巡ります。
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新田の場所って武庫川氾濫域で堤防ができるまで荒地だったんやろか?
氾濫域は河川敷のような砂地で水が地下にしみ込むので川がなく
そのための用水路が多いやろなぁーと思っていたら・・・やっぱ多かった!
枯れている用水路もありましたが・・・
宅地の合間に残存する畑の向こうを流れる現役の用水路とか・・・
今も使っているのかな?分水の簡易的な水門など・・・
先の旧村高木村から中津浜線を越え、一番近いY字路に入ると・・・
Y字路出現の予感が〜
おお!!
氾濫域は河川敷のような砂地で水が地下にしみ込むので川がなく
そのための用水路が多いやろなぁーと思っていたら・・・やっぱ多かった!
枯れている用水路もありましたが・・・
宅地の合間に残存する畑の向こうを流れる現役の用水路とか・・・
今も使っているのかな?分水の簡易的な水門など・・・
先の旧村高木村から中津浜線を越え、一番近いY字路に入ると・・・
Y字路出現の予感が〜
おお!!
Y字路の宝庫やん!!と喜んでたら・・・
墓地にでたらY字路の連鎖終了???
あとは普通の住宅地でY字路なく、まぁ元、田圃の真ん中やったんで納得かな?
でもやっぱり角石はありましたね。
普通の住宅地に変わった建物?!
と思ったら呑み屋さんでしたがは廃業みたいで・・・
農村の痕跡はチラッとありましたが・・・
地名としては「樋の口」で、多分、武庫川から仁川の下をくぐって
江戸時代に作られた用水路「百間樋」が分水地としての地名何でしょうかね?
最初の中津浜線分岐のY字路からの複雑な水路はなんやったんでしょうね???
古地図の水路が青く表示されていたら、探索も楽だったでしょうね。
返信削除楽々でしたが・・・なんせ数が多すぎて・・(^^;;;;
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