最後に・・・
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境内の片隅にあった用水桶に・・・
乙馬銘氏あり、境内では、これが唯一のようです。
室町時代後期から戦国時代にかけて騎馬で供奉した一族の名前だそうです。
***鳴尾屋銘は、大阪大学の論文『大阪湾岸新田地帯の近代 : 尼崎沿岸部を中心に』に新田開発の事項で出てきますが、鳴尾村の方なんやろか?
文化八年(1811)
もしかしたら境内の馬氏関連の石モノで一番古いかもです。
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調べるに・・・平成に名を引き継ぐ方は少なく
西宮市、宝塚市、岸和田市、堺市等で数件ずつ確認できるとか〜で
赤門すぐの石灯篭土台部分、上段右から二つ目『守屋新兵衛』?
先の防火水槽は「文化八年(1811)」、こちたは「天保七年(1836)」
25年の開き・・・同一人物やろか???
防火用水槽明記銘の「乙馬屋善吉」で検索すると〜下記文一部削除してます。
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現在の兵庫県西宮市西宮北口駅周辺において『乙馬善兵衛』が1849年(嘉永2年)には既に『乙馬屋』という屋号で木製品加工販売、人夫出し業、土地家屋賃貸業などを営み、塚口駅周辺一帯に土地家屋を持ち、西宮神社・廣田神社に防火用水槽等を寄進している。
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上記の防火水槽がこれにあたるのね!廣田神社にもあるのか!?
追加で後日アップします。
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大正期に入ると事業が拡大していたが大きな詐欺グループにより殆どの財産と事業を手放した。分家と事業の一部を塚口に残し宝塚に本家を移し塚口と十三で事業を再開。
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塚口と十三も調べてみないとね!とどんどこ拡大するような・・・(^^;;;;
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1945年(昭和20年)の兵庫・大阪空襲により全て消失。戦火を逃れ兵庫生瀬、大阪南津守、大阪堺などに疎開する。縁あって大阪岸和田の美術商と小間物業を営んでいた、西由商店と1948年(昭和23年)に合併。1991年(平成3年)に法人化。
屋号おとま屋として現在に至る。
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このサイトの運営会社の代表者が乙馬氏となるのね。なるほどねぇ〜歴史ですね〜
下記の10名の馬氏、現存する銘と出会えるでしょうかねぇ〜
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1)葛馬氏、2)善茂馬氏、3)一馬氏、4)七馬氏、5)十馬氏、6)他人足馬氏(與三太郎馬氏)、7)與四郎馬氏、8)大黒馬氏、9)大徳馬氏、10)小唐馬氏
お疲れさ馬・・・
返信削除ありがとうございます~<(_ _)>
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