もしかしたら六馬氏、厄落としで参られたかと門戸厄神さんへ〜
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門戸厄神さん本殿正面下、地蔵さんの玉垣に注目です!

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『三*(不明)水(はらいの状態で判断)馬』ですか・・・六馬銘でないですね。
まとめると・・・上の画像の右肩に『今』と読める?ので『今津』かな?
上と下の画像から『三*水馬之介(最後の文字は憶測)』かな?

『都司楼』、『柏野安蔵』、『浪登』・・・花街にあった料亭かと

リンク先の『西宮 戸田町遊郭』には・・・赤字は厄神さんにあった銘です。
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芸妓は都司楼、三福楼、阪東屋、東亭、おきな、さし金、常盤、橋熊、ごまや、〇長、〇萬、等の料亭に入ったものと思います。
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磨耗が激しい玉垣やら撮り損ねているのやら
専門家が見たらもっと店の名が出てくるかもね。
玉垣を作った当初は宣伝やP R兼ねていたでしょうけど、時代が移行して石が風化してしまうなんて微塵も考えなかったでしょうね。そもそも玉垣に寄進者の名前を入れ始めたのはいつからでしょう。
返信削除宣伝する財力もあったんでしょうね。砂岩は磨耗してダメだし、花崗岩はすぐに劣化するから読めないしね。
削除玉垣に名前を・・・面白い視点ですね!年号を意識したことがないですが、苗字&名前が多いので、それが許された明治以降ではないでしょうかね?
削除東京在住の六馬と申します。10年ほど前に西宮との関わりに気が付きました。新たな発見に期待させて頂きます。
返信削除初めまして!六馬氏銘を継がれている直系の御氏族の方ですか!?以前、「六馬仁兵衛は私の祖父にあたります」という方からも投稿をいただきました。道草画日記1の方に記載があります。よければ参考にしてください。http://hack.cocolog-nifty.com/mitikusa/2010/08/post-4113.html
削除新たな六馬氏銘に出会ったらこちらにアップいたします。気長にお待ちください!
削除昨日の「東京在住の六馬」です。当方の流れは1700年頃に西宮から鰯を追いかけて南房総の館山に進出しました。館山で名を継いできた次郎左衛門の痕跡を西宮「信行寺」さんの過去帳(元禄13年)から見つけました。
返信削除ご紹介いただいた「道草画日記1」参照させていただきます。
東方、素人なので個人的な過去帳や墓石までは手を出さないようにしておりますが、鰯を追いかけて〜のくだり、もしかしたら昔、鰯漁が盛んであった阪神間旧海岸周辺の神社に銘があるかもしれませんね!!良きヒントありがとうございます〜涼しくなったら一度見てきますね!!
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