2025年6月2日月曜日

【馬氏を探す】6:六馬氏・番外編:門戸厄神

もしかしたら六馬氏、厄落としで参られたかと門戸厄神さんへ〜
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門戸厄神さん本殿正面下、地蔵さんの玉垣に注目です!


どうも昔の西宮の花街に関係する皆さんのようで・・・
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玉垣の奉納者銘を右から平野酒造*(最後が埋もれて読めない)
二番目は西宮町三宗?・・・三番目に馬の文字?六馬!?〜拡大してみるに・・・


六馬?水馬とも・・・どっちかな?


部分拡大・・・
『三*(不明)水(はらいの状態で判断)馬』ですか・・・六馬銘でないですね。
まとめると・・・上の画像の右肩に『今』と読める?ので『今津』かな?
上と下の画像から『三*水馬之介(最後の文字は憶測)』かな?


その隣・・・『西宮町 酒蔵 田中綱吉』


こちらには・・・右左に分けて拡大してみました。


右から・・・現住道英代(今風にだと大阪住道在中英代)
西宮 藤原虎道?*(最後埋もれて不明)
百井㽵九*(最後埋もれて不明)


右から西宮麺類商 長市
今津 薮?内興平次
市庭町 山村米太郎


右から『大宗』『さし金亭』『寿し種』『和田楼』・・・


『市亭?福?笠とく』『四宮町 東亭』『?西綱』


『都司楼』、『柏野安蔵』、『浪登』・・・花街にあった料亭かと


リンク先の『西宮 戸田町遊郭』には・・・赤字は厄神さんにあった銘です。
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芸妓は都司楼、三福楼、阪東屋、東亭、おきな、さし金、常盤、橋熊、ごまや、〇長、〇萬、等の料亭に入ったものと思います。
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磨耗が激しい玉垣やら撮り損ねているのやら
専門家が見たらもっと店の名が出てくるかもね。


3 件のコメント:

  1. 玉垣を作った当初は宣伝やP R兼ねていたでしょうけど、時代が移行して石が風化してしまうなんて微塵も考えなかったでしょうね。そもそも玉垣に寄進者の名前を入れ始めたのはいつからでしょう。

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    1. 宣伝する財力もあったんでしょうね。砂岩は磨耗してダメだし、花崗岩はすぐに劣化するから読めないしね。

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    2. 玉垣に名前を・・・面白い視点ですね!年号を意識したことがないですが、苗字&名前が多いので、それが許された明治以降ではないでしょうかね?

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