2025年12月8日月曜日

【地名散策】猪名川難読地名を巡る<6>〜火打

 これは難読ではないですが・・・
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地名の語源について、今まで考えた事もなかったと反省。
参考本「地名の川西史」に字名になった「火打石」と言われる巨大岩石!?


この大岩、さんざん探しましたが文献にも観光ガイドにもWEB上にもなく
街道沿いにあったとの記述で、ストリートビューで探すとみっけ!!
マンションの敷地内にあるので、どこにも出てないと納得であります。


大火打石の横、なんか岩盤が見えてて、さらにこの階段は何?


ん?これは・・・?


んんんんん・・・めりーくりすます?!と石仏が・・・!?


何度も近所、通ってましたが・・・


毎度ながら・・・よくある石仏避難団地?!


浄心洞地蔵尊・・・全くヒットしません。


奉納者の氏名が・・・


この岩盤・・・


礫が混じってるので・・・礫岩?


粒子の大きさが2㎜以上のものを礫といい、それが固化したものを礫岩といいます。
丸い礫が集まったものを円礫岩(水の働きを受けています)といい、
角張った礫が集合したものを角礫岩(おもに火山砕屑物などがたまったもの)といいます。
ん?火山関係の地層なんやろか???
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「大阪平野北 部, 川西市花屋敷の第四紀層について」なんて資料がありますが
地学まで調べだしたらブラタモリやん!!


大火打石を上から眺め・・・でかい!と下へ降りると・・・


ん?!マッサージ?!!


なんでまた、ここに放置?とWEB検索したら上の赤色の屋根の家やった?!
看板が落下してるって・・・今も営業してるんやろか?


2025年12月7日日曜日

【地名散策】猪名川難読地名を巡る<5>〜栄根

 久代の次は栄根、ライトな難読?〜
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下加茂1丁目、京伏見街道と出会いの辻です。
多田街道はまっすぐ北へ〜


栄根1丁目、って事は、町の中心地?


町名盤に読み方あり・・・サカネなのか・・・エイネかと思ってました。
今回参考にした「地名の川西史」によると栄根寺と名称のお寺があったそうな〜


ちょっと広い道路に出ました・・・この道は


先の京伏見街道から分岐した池田道だそうな〜すぐにJRの踏切


この先、西へちょっと行くと京伏見街道に合流する


今出てきたこの細い道が多田街道で〜と撮ってたら近所の方が・・・


道路元標あるでぇ〜と教えてくれました。。。川西村!?
これがあるって事は、旧村時代の中心地やったわけですが・・・なんもないような?


幹線道路を渡って西へ・・・町名看板、色が変わったわ?!


あれ?いつも川西能勢口から帰る時に走るとこやん!
ここらも栄根やったのね〜


多田街道は北へ〜


いつも見てた大きな石灯篭、今日はしっかりと見る!


龍の彫りモン・・・


山王宮とあるけど多田神社かな?


2025年12月6日土曜日

【地名散策】猪名川難読地名を巡る<4>〜久代

 久代と書いて「くしろ」と読む。漢字変換OK地名ね〜
元々の地名は「柏葉田」って、これも難読やん?!
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罪の代償として差し出す稲田に田串を立てので、元々の地名から
稻(稲の旧字/くしろ)に変わって、さらに久代になったそうで・・・



川西市になります。


伊丹平野にある農村で・・・


猪名川の河岸段丘側と・・・


段丘の下に今の久代は広がってます。


段丘にある久代春日神社


幹線道路に火の見櫓


幹線を東に渡ると久代1丁目、、ここらが旧村時代の中心地やったんでしょうかね?


細い路地的な小径ですが・・・


旧多田街道


お寺が3つ・・・


文献的には理解できますが、柏葉田=柏梨田って実感湧かんですね〜



2025年12月5日金曜日

【地名散策】猪名川難読地名を巡る<3>〜柏梨田

次は柏梨田・・・読めんなぁ〜 ですが・・・
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国土地理院地図にはルビありです。珍しいかもね〜
旧地図では「カシュウダ」、今の地図では「かしうだ」とルビが付けてあります。


先ほどの紫合にもルビありで、旧では「ユーダ」、今のでは「ゆうだ」
バス停のローマ字表記は旧地図の発音を参考に・・・なんでしょうかね?


さて、今回は「柏梨田」に行って、しかっ!と見るのがメイン目的でありました。


地名書き的には定番通りにありましたが・・・


条里地割が残る地とかで・・・
へぇーこんな場所に条里地割が?!が興味の発端であります。


古代の栢梨郷の遺称地とされるとかで・・・えーっと栢は柏の異体字だそうです。
栢梨とは、なんやねんと検索したら・・・
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摂津国栢梨の庄産出の梨を副原料に造った甘酒。折節宮中への献酒等で名を広めた。


献上した様子が書かれた文章が〜
吏部王(重明親王)の日記『吏部王記』の現代語訳にあります!



さらに検索すると過去の猪名川町の広報誌にこんな記事(抜粋)が出ていた。
室町時代に朝廷と繋がりのあった源出藤(検索ヒットない)がおり
その女房が柏梨の君と呼ばれたそうな・・・上の栢梨の献上酒の話とつながるやん!


さらに、いながわの民話「柏梨の君」の話がアップされており、なになに〜!?
お二人の夫婦石塔が安楽寺にあると!!で、行ってみた〜民家の奥に屋根が見えてます。


無人のお寺です。


民話ビデオの中で・・・


裏山に鎮座されてると・・・境内におろしてるとか・・・ないわな・・・


お!石仏に赤とんぼ〜♪


裏山に猪の罠はありましたが、夫婦石塔は見つからず・・・断念!


屋敷跡と伝わる田んぼに石をさがすべく・・・民話ビデオの風景を探し・・・

田んぼ道を行くと・・・ん?あの樹形!!民話ビデオで見たわ!

座ると腰痛になると伝えられる屋敷の岩?!
形状から建物の礎石ではないように思えますが・・・

んーと〜何もありません、この石の周辺だけこんもりと土が持ってあります?

腰痛岩から夫婦石塔のある安楽寺が見えてます。
柏梨田と繋がりがあると言われる川西の久代へ行くことにしました。
あ、久代って地名、読めそうで読めないやはり難読地名ですね。