2025年4月4日金曜日

【西へ!】三木へ〜編:谷上駅起点〜その6:東下大歳社神社・東下七社神社

神社2社を巡ります。
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地図にあったので・・・公園化された中にぽつねんと・・・東下大歳神社


旧道にあった茅葺のお屋敷


東下何社神社の鳥居
この傍にツーリストに有名なうどん屋「浦商」さんありですが、後で知ったので
当日、え?!こんなとこにうどん屋!?間口も小さいのでパスしてしまった、残念!


立派な青銅製の扁額


鳥居前にありました播磨型お堂(自称)


すぐに東下七社神社到着・・・あら鳥居がありませんね?


この大樹が鳥居の役目をしてたんでしょうかね?


本殿傍の境内社には鳥居あり


社殿は室町期(1336~1573)建築で、山田庄で最古最大のものだそうな。


500年以上、建ってるわけで・・・


覆殿もなく、よくぞ!って思ってしましますね。


さて・・・正面から・・・


奉納絵馬が、ど真ん中に


んーっと神功皇后ですね。
よく似た構図で「御誂座敷幟ノ内 神功皇后と武内大臣」図がありましたので・・・


ぐるりと・・・


木鼻


龍とかは居ませんね。


木彫狛犬アップ・・・口の中に彩色が残ってます。
欠損箇所も多く一刀彫でなく寄木細工で作られてるんでしょうね。
でもよく見たら右眉毛は直接彫ってますが、左眉毛は欠損してるんで寄木で
これって制作費や効率を考えた結果でしょうね。


顔部分が寄木ですね。胴体に朱色が微かに残ってる?


境内社


大きい方が天満神社、小さい方はわからない?


こちらの木鼻の意匠が珍しいかも!


本殿横・・・天一神社と扁額にあります。


ひっそりと・・・


境内の端っこにお墓?


外れにお堂かな?


形態はよくある播磨型お堂(自称)とちょっと違いますが・・・


格子窓にビニール張ってありましたので中うまく見れずでした。


2025年4月3日木曜日

【西へ!】三木へ〜編:谷上駅起点〜その5:中大歳神社(力石あり)/火伏稲荷神社/清光寺(力石あり:未確認)

志染川を渡って同じ地区に2社・1寺を巡る。
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まず、中大歳神社・・・小さいわ!


力石みたいな手洗鉢と・・・


見本のような力石が4個も!
力士・八弦山直吉(山田庄中村生まれ)の力石だそうです。


ここにもありました播磨型お堂(自称、勝手に命名)〜土喰い地蔵。


奥に一体、石仏ですね。


田の土を投げつけて豊作祈願したとか・・・


地図にある火伏稲荷神社への入口・・・鳥居が見えてます。


うーん・・・ちょっと迷ったけど・・・登ったです。


火伏と言ったら愛宕さんと思うんだけども・・・


一応、雑草は刈っているみたいで・・・


やはり・・・埃まみれ・・・でも、しめ縄飾りが・・・


お・・・お寺やん、龍いるかな・・・と寄道〜地図に「清光寺」とあります。


おお!!石像の仁王さんだ!!凄いわ!!!


先にブログアップした海蔵寺さんより先に石像の仁王さんをここで見たのです。


一枚岩を彫り込んで造ってるんやろか?


パーツごとに造って合体か?


柔らかそうな石材なので凝灰岩?


おもしろい造形やなぁ〜と興奮状態なワタシ


足元は、ちょっと省略気味ですが・・・


裏側に奉納者名ありで・・・
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奉納 寄進 福元村講中


うーっと・・・と唸りつつ撮ってましたが帰宅後調べたら
このお寺にも力石があったようで・・・しまったちゃんしました!


2025年4月2日水曜日

【西へ!】三木へ〜編:谷上駅起点〜その4:六條八幡宮<2>

境内をば・・・ぶらぶら
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ここにも扇型手洗盆


井戸・・・


アクセントに石臼


狛犬・・・本殿間際


一番大きい


台座に「大典」
ん?!左の看板、この時、新型コロナの影響残ってたんやね。


こちら側には「紀念」


後ろ側に大きく「施主」


その下に奉納者名が・・・
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右:神戸市平野丁祇園住居 小部村 勲八等 大西小三郎
左:神戸市平野福田町住居 西下村 勲八等 林松三
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これだけの詳細な情報があればと検索・・・ヒットなし


メインの狛犬の後ろに・・・


こっちの方が古いような感じ?


ちょっと頭でっかち


笑ってるような・・・


憂いのある表情・・・


横から・・・


台座には・・・
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願主 大坂幸町 明石屋守兵衛 下谷上 法之一利太夫
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あれ?! 下谷上で太夫!!、先に行った農村歌舞伎舞台の関係者かも!!
こんな風に別の場所で繋がりを見つけるとワクワクしますね〜♪


もうひとつ狛犬が居ます。


なんかちょっと・・・疲れてはります。


あと鬼瓦も・・・


見応えが!


鯱鉾と共演の鬼瓦も〜


大絵馬類は、もともと少なかったか、残ってないのか・・・