五社野口神社は 今回、最大の神社ですね。
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西国街道沿いに鎮座してます。
ささ・・・境内へ・・・と思ったら、あれ?鳥居が???
鳥居の先に参道はなく?・・・向こうに大鳥居が見えます。
柱が四角な鳥居で、文字が刻まれてます・・・王師(官軍) 百萬〜
あらら。。。松に邪魔されて・・・王師 百萬神威輝四海動?神
反対側・・・
神社側には・・・君が代の歌詞が・・・
この手は初見・・・
反対側には建てられた年号が・・・そして奉納者名が・・・
嗚呼、多木化学の創業者!
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大日本農村振興研究会長 勲三等 多木粂次郎
ここに古い神戸新聞の記事があり、この会とこの方の名前があります。
献納者 多木三良は婿養子で副社長の方
東の組っこに道標が・・・南:式内日岡神社
道標って見る立ち位置から見た方角なんで。北の方角に日岡神社が鎮座してますね。
西:廿(二十)五丁・・・東の先に二十里に丁字路(街道分岐)ありなんやろか?
1里=約4kmなので80km先って大山崎あたりか?
東:大野村在って現在の淡路島の洲本市?
境内へ・・・
隋神門
大臣さん、綺麗な顔してはりますが・・・
残念ながらの硝子戸越しです。
拝殿、でかいです!!
境内の石灯篭に「山王五社宮」とありなんで???と調べたら納得!
ここに載ってました・・・山王=日吉神社=「比叡山延暦寺」の守護神で
明治前は神宮寺やったのね・・・で五社は?
奈良時代に寺が建てられたそうですが・・・
もともと五つの宮があったので・・・神仏習合で五社山神宮寺になり
江戸になると古い社名の五社宮に山王が付き、明治政府の「神仏判然令」(1868)が出され
お寺部分は廃止、神社名を野口神社になり、最近いなってもともとの
名前に戻そうや!となり、現代に至る・・・ということで名称がややこしいのかな?
道草した方が、人生愉しい。低速徘徊をモットーに、野をうろうろ、路地をきょろきょろ、無名なモノ達を見て回り、お気楽撮りの画的写真と駄文をつらつらと日々アップ、・・・コメント、気楽にくださいましィ〜
2024年10月9日水曜日
【東播磨ポタ】土山駅発編19:五社宮野口神社〜1
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神社名はコロコロ歴史の支配者の都合で変わるので、ややこしいですね。延喜式の神社名も現在と位置が違っていたりすると、本当の神社は実はこっちで・・・とか研究者が言うし、地元は「いや、こっちや」と言うし・・・
返信削除今回の徘徊した地域は複雑なように思えますわ。神社名由来もそうですが、やたらと城址が多いのも支配者がコロコロ変わった激戦地やったんでしょうね~逆に言えば播磨って豊かやったんですね~とも。大阪や奈良みたいに沼や湿地だらけやなかったんでしょうなぁ・・・
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