2025年1月4日土曜日

【南あわじ】<8>秋葉神社

続いての秋葉神社は・・・
***
こちら海方面


こちら内陸方面(神社のある方向)・・・周辺に蔵がありますね。


港からの荷揚げ場やったんでしょうか?


沖合に停泊中の船から川沿いに小舟で運んできた・・・なんてね、想像しますわ。


これは?なんやろか?・・・


ちょっと入り込んだ場所に神社があります。


鳥居正面に石の祠三座
賽銭箱には神社名がありますねが・・・


一番大きな石の祠が秋葉神社かな?


龍が居ます!


奉納者名チェック〜
天羽鶴吉って、芸名みたいな氏名ですね


横には石碑が2つ・・・


摩耗激しくて読めないです・・・


こちらは側面に文字が彫られてますが・・・


五面に神の名が彫られている・・・?


同じようなものを何処かで見たけど。。。どこだったか・・・忘れたわ〜(^^)


五面をまとめて見ました。
左から・・・倉穂権現、埴安媛命、大巳貴神、天照大神、少彦名命
あら〜全て神話時代の神さんの名前ですね。



6 件のコメント:

  1. 明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。
    川沿いを小舟で・・・う〜ん、淡路島の川てそんなに水量ないと思いますが・・・。寧ろ海岸線がもっと複雑に入りくんでいた跡とか?

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    1. おめでとうございます。本年も色々とご伝授、よろしくお願いします!!

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    2. 三面護岸で、川底が流量の差でうまく流れるようにの凹型、上流には溜池、護岸する前は結構な深さがあったのでは???と推測してます。実際はどうなんやろか?

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  2. と調べたいたら。。。「淡路南海道の第2番目(第1番目は、向谷潟上。)の四国への福良渡海場で、江戸初期に新波止(波止の浜)が出来るまで、原田川西岸の波止を利用していた。」との記載が下記のページに・・・http://setonoshiomizu.web.fc2.com/fukuragaku/activity/24/kemurisima.htm

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    1. やはり川ではなく海でしたね。入りくんでいませんでしたが(笑 津波や高潮を防ぐための先人の努力の跡です。

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    2. なんせ干潮の差が激しい鳴門だもんで・・・潮待ちした波止場やったんでしょうね。

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