<神戸市西区櫨谷町>
押部谷町木見から小さな峠を越えて櫨谷町へ〜
車幅が広い道路ですが、路肩も歩道もなく
押部谷町と櫨谷町とで人の行き交いが、昔からなかった?
ということは、小さな文化の差がある?かな・・・
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下ると櫨谷町寺谷、観光地図あり・・・で、端谷城跡?
現在位置アップ・・・お寺が城跡なんやね。
この周辺、城跡がやたらと多いような気がしますが・・・なんでやろか?
下流には、城ヶ谷城跡、福谷城跡、池谷城跡とGoogleマップにありますね。
前回の神鉄栄駅編コース周辺には城跡が少ない???
と調べたら・・・
戦国時代、端谷城主衣笠氏により櫨谷(はせたに)の谷筋に
池谷城、福谷城、城ヶ市城、城ヶ谷城などの支城が築かれたとか・・・納得!
さらに・・・
端谷城は三木城主・別所長治に仕えた衣笠範景の居城で、摂津と接していることから、
三木城の支城として「境目の城」としての役割を担っていた。
ゆえに・・・
押部谷と端谷には、防衛のために街道を造らなかったと勝手に推理〜(^^)b
観光地図のある交差点に・・・お地蔵さん?
石柱のトップに石仏を彫ってある道標かな?
手洗鉢・・・扇型に見えなくもない???
この辺、埋もれた文化財(に指定して欲しいもの)がたくさんありますね。
返信削除前回の明石川に沿った地域と今回の地域との文化的な差なんて解説して欲しいもんです。
削除押部谷は三木に近かったので、三木との繋がりが深いようです。お寺は性海寺、櫨谷の方は明石、お寺は太山寺。子供の頃、同じ神戸市内でも押部谷は他の地区と違うような言い方をされていました。うまく説明出来ないけど、「よそ者」的な見方かな? 未開地みたいに思われていました。
返信削除ほお〜そうなんや・・・そんな肌感覚がよそもんにはわからんので・・・
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