リストには「食満&稲荷神社」とありますが
食満には3社お稲荷さんがあり、どちらなんでしょうね?
***
まず、上食満稲荷神社へ〜
鳥居前の草むらに力石と思えるような石が転がってますが
リストには「紀元二千六百年記念」と銘が入っているとあるのでこれは違うのかな?
本殿
振り返ると・・・自転車を止めたところに力石があるようで・・・
遥拝所の石柱の周りに石が三つ・・・通常の力石よりもゴツゴツしてます?
この遥拝所、サイトには伊勢神宮を指していると。
側面に紀元二千六百年記念とあります。
もう一方の側面には昭和十五年十一月吉日とあります。
裏には「奉納 婦人會」とありますね。
婦人会が奉納した石碑の周りに力自慢の力石が並んでいる・・・ちょっと妙かも。
社殿前灯篭に伊勢講と・・・遥拝所の石碑と対ですかね?
本殿の彫りモンは二匹の狐ですね。
社殿に狛犬・・・石像でしょうね。
続いて中食満稲荷神社
さて・・・力石は・・・
ないような・・・
本殿の後・・・これは?
紀元二千六百年記念とあります、力石にしてはやや小さいな?と思ってたら
サイトには、大きな楠の根元にこの石があったようで、記念碑やったようです。
既知の下食満稲荷神社、今回はパスです、リストの神社は上食満稲荷さんのようですね。
道草した方が、人生愉しい。低速徘徊をモットーに、野をうろうろ、路地をきょろきょろ、無名なモノ達を見て回り、お気楽撮りの画的写真と駄文をつらつらと日々アップ、・・・コメント、気楽にくださいましィ〜
2024年8月31日土曜日
【検証ポタ】力石編2:尼崎市/食満
2024年8月30日金曜日
【検証ポタ】力石編1:尼崎市/田能
ことの発端は・・・
***
芦屋市のサイトに「阪神地区及び神戸市の力石一覧」PDF
てなことが掲載されているレポートからだった。
読むに・・・え!?神戸市東灘区に56基も力石がある?!
が、所在地の町名を検索するも東灘区にない?ヒットするのは淡路島!?
問い合わせてみたら記載ミスで淡路島のものを記入したらしい・・・
てなことが掲載されているレポートからだった。
読むに・・・え!?神戸市東灘区に56基も力石がある?!
が、所在地の町名を検索するも東灘区にない?ヒットするのは淡路島!?
問い合わせてみたら記載ミスで淡路島のものを記入したらしい・・・

まず一番遠い田能・・・起点は阪急園田駅
猪名川土手から競馬場を見ます、ここの馬場は砂地ですね。
馬舎をチラ見できます。
リストにある田能は旧村集落で。。。
集落内には、綺麗な石臼が転がってたり・・・
唐臼支柱石が放置してあったりします。
リストに「田能」としか明記がなかったのでGoogleで「田能&力石」検索したら
観世音本堂が示唆されました。
何回も田能にはきているのに、今回が初参であります。
本堂側から・・・右側に力石が見えてます。
ここの力石は文化財として保存されてます。
ここまで丁寧に保存されている方が珍しいかもなぁ・・・
毎度思いますが、よーまぁー昔の人は持ち上げましたよね!
リストには「銘文 紫雲石 小三郎」ありと書かれてます、左の力石ですね。
右の力石にも文字が刻まれているみたいですが読めないですね。
初参なので境内をキョロキョロ・・・地震に強い公衆電話あり。
自宅近所での公衆電話位置、確認し済み、意外なほどないのよね。
本堂を昭和十五年に再建されたのね〜の石碑の氏名と後ろの玉垣の氏名
名字が同じ方がいますが、親族かな?
お堂屋根の天辺にある瓦ね〜
食満に向かう前に何度か来ている田能春日神社に立ち寄り確認
2024年8月29日木曜日
【検証ポタ】書籍編2:能勢街道の風景: 史跡をたずねて〜2
本書にあった丹波街道を走ります。
***
よくくる多太神社、「ただじんじゃ」と読んでましたが
「たぶとじんじゃ」と地図にあり!、知らんかったぁ〜

多太神社の横にある辻の地蔵堂

本書には、道標地蔵さん2体あり「右ゆもと/左のせ道」「右湯元道/左山下道」
うー確認せず・・・次回のお楽しみに
江戸時代には今の平野駅周辺に十七軒も旅館があったそうです。
山下道は、妙見口の集落からの旧道をさすんやろか?
「たぶとじんじゃ」と地図にあり!、知らんかったぁ〜
多太神社の横にある辻の地蔵堂
本書には、道標地蔵さん2体あり「右ゆもと/左のせ道」「右湯元道/左山下道」
うー確認せず・・・次回のお楽しみに
江戸時代には今の平野駅周辺に十七軒も旅館があったそうです。
山下道は、妙見口の集落からの旧道をさすんやろか?
少し登ると・・・お供えがしてあります。
風化が進んで何かわかりませんが、形状から見ると石仏かな?
坂を登り切ると住宅地、その脇に・・・地理院地図には鳥居マークありで
本書には記載ありませんが・・・
愛宕神社が鎮座しているので〜
この公園脇に石仏が集められてます。
手前に道標ありで・・・
右:多田満願寺/左:新田
***
満願寺は、この地点からずーっと西
新田という地名は、緑台直下にありますが、方角が合わんです?
毎度ながら、保存されている道標は元々どこに立っていたんやろか?
と悩むのであります???
この石仏群も緑台造成時前からここらにあったんでしょうね・・・
端っこの石仏、頭がありません。これも毎度見る例で
廃仏毀釈の悪例ですね。
お供え花が・・・誰かがお世話されてるんでしょうな・・・
新興住宅地にあるあるな石仏団地、せめて建設時の謂れを残しておいて欲しいと
思うのは私だけかな・・・ということで多田神社へ降って終了です。
登録:
投稿 (Atom)