2024年8月31日土曜日

【検証ポタ】力石編2:尼崎市/食満

 リストには「食満&稲荷神社」とありますが
食満には3社お稲荷さんがあり、どちらなんでしょうね?
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まず、上食満稲荷神社へ〜


鳥居前の草むらに力石と思えるような石が転がってますが
リストには「紀元二千六百年記念」と銘が入っているとあるのでこれは違うのかな?


本殿


振り返ると・・・自転車を止めたところに力石があるようで・・・


遥拝所の石柱の周りに石が三つ・・・通常の力石よりもゴツゴツしてます?
この遥拝所、サイトには伊勢神宮を指していると。


側面に紀元二千六百年記念とあります。


もう一方の側面には昭和十五年十一月吉日とあります。


裏には「奉納 婦人會」とありますね。
婦人会が奉納した石碑の周りに力自慢の力石が並んでいる・・・ちょっと妙かも。


社殿前灯篭に伊勢講と・・・遥拝所の石碑と対ですかね?


本殿の彫りモンは二匹の狐ですね。


社殿に狛犬・・・石像でしょうね。


続いて中食満稲荷神社


さて・・・力石は・・・


ないような・・・


本殿の後・・・これは?


紀元二千六百年記念とあります、力石にしてはやや小さいな?と思ってたら
サイトには、大きな楠の根元にこの石があったようで、記念碑やったようです。
既知の下食満稲荷神社、今回はパスです、リストの神社は上食満稲荷さんのようですね。


2024年8月30日金曜日

【検証ポタ】力石編1:尼崎市/田能

 ことの発端は・・・
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芦屋市のサイトに「阪神地区及び神戸市の力石一覧」PDF
てなことが掲載されているレポートからだった。
読むに・・・え!?神戸市東灘区に56基も力石がある?!
が、所在地の町名を検索するも東灘区にない?ヒットするのは淡路島!?
問い合わせてみたら記載ミスで淡路島のものを記入したらしい・・・


ならば近所の力石を既知も未知も行って確認しようと思い立ち
手始めに尼崎の力石の所在チェックをやって見ることに・・・


まず一番遠い田能・・・起点は阪急園田駅
猪名川土手から競馬場を見ます、ここの馬場は砂地ですね。


馬舎をチラ見できます。


リストにある田能は旧村集落で。。。


集落内には、綺麗な石臼が転がってたり・・・


唐臼支柱石が放置してあったりします。


リストに「田能」としか明記がなかったのでGoogleで「田能&力石」検索したら
観世音本堂が示唆されました。


何回も田能にはきているのに、今回が初参であります。


本堂側から・・・右側に力石が見えてます。


ここの力石は文化財として保存されてます。


ここまで丁寧に保存されている方が珍しいかもなぁ・・・


毎度思いますが、よーまぁー昔の人は持ち上げましたよね!
リストには「銘文 紫雲石 小三郎」ありと書かれてます、左の力石ですね。
右の力石にも文字が刻まれているみたいですが読めないですね。


初参なので境内をキョロキョロ・・・地震に強い公衆電話あり。
自宅近所での公衆電話位置、確認し済み、意外なほどないのよね。


本堂を昭和十五年に再建されたのね〜の石碑の氏名と後ろの玉垣の氏名
名字が同じ方がいますが、親族かな?


お堂屋根の天辺にある瓦ね〜


食満に向かう前に何度か来ている田能春日神社に立ち寄り確認
ここに力石があったかな???


確か本堂脇に石仏を集めたお堂が・・・これね〜


説明はありませんが、手前の3つが力石かもね。


花が供えられている石仏の前、石に刻まれた蛇?!
蛇は弁天さんのお使いだから・・・うまく彫ってありますね〜


2024年8月29日木曜日

【検証ポタ】書籍編2:能勢街道の風景: 史跡をたずねて〜2

本書にあった丹波街道を走ります。
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よくくる多太神社、「ただじんじゃ」と読んでましたが
「たぶとじんじゃ」と地図にあり!、知らんかったぁ〜


多太神社の横にある辻の地蔵堂


本書には、道標地蔵さん2体あり「右ゆもと/左のせ道」「右湯元道/左山下道」
うー確認せず・・・次回のお楽しみに
江戸時代には今の平野駅周辺に十七軒も旅館があったそうです。
山下道は、妙見口の集落からの旧道をさすんやろか?


少し登ると・・・お供えがしてあります。


風化が進んで何かわかりませんが、形状から見ると石仏かな?


坂を登り切ると住宅地、その脇に・・・地理院地図には鳥居マークありで
本書には記載ありませんが・・・


愛宕神社が鎮座しているので〜


息きれて・・・到着。


小さな祠の神社です。


祠以外、何もなく・・・


屋根の飾り瓦に黄金の巾着袋・・・お稲荷さんならわかりますが?
火災から財産を守ってくださいの願いからかな?


愛宕神社のお札と石仏三体


ここも本書には記載がありませんが・・・緑台5丁目の公園へ・・・


この公園脇に石仏が集められてます。


手前に道標ありで・・・


右:多田満願寺/左:新田
***
満願寺は、この地点からずーっと西
新田という地名は、緑台直下にありますが、方角が合わんです?
毎度ながら、保存されている道標は元々どこに立っていたんやろか?
と悩むのであります???


この石仏群も緑台造成時前からここらにあったんでしょうね・・・


端っこの石仏、頭がありません。これも毎度見る例で
廃仏毀釈の悪例ですね。


お供え花が・・・誰かがお世話されてるんでしょうな・・・


新興住宅地にあるあるな石仏団地、せめて建設時の謂れを残しておいて欲しいと
思うのは私だけかな・・・ということで多田神社へ降って終了です。